2018年2月23日
中土井 僚「日々是内省」
食べ過ぎ、飲み過ぎ、夜更かしのし過ぎ、タバコの吸い過ぎ、仕事のし過ぎ、オンラインゲームのし過ぎなどなど、日常の中では数多くの誘惑があるが故に、ついつい行き過ぎたことをやらかしてしまうことは誰にでも少しは経験があるのではないでしょうか?
それが酷くなれば、〇〇中毒と言われるのだと思いますが、そこまでいかなくても「わかっちゃいるけど、やめられない」というクセになるものはあってもおかしくはありません。
かくいう私もようやく半年前位から終わりつつあるものの、未だに「食べ過ぎ」にはなりやすく、この記事を書いている直前の昼食も食べすぎてしまいました。
面白いもので「〇〇過ぎ」という言葉を使っている時点で、私たちはその行為がバランスを欠いた「行き過ぎたもの」であるということを直観的に知っています。
そして、それは時に、健康を害するようなことになることを頭ではわかっていても、やめられないままでいます。
「〇〇過ぎ」というのは、過度にその行動を取りすぎるケースだけではなく、「〇〇をやらなさ過ぎ」という「わかっちゃいるけど、できない、続けられない」ものも含まれます。
組織開発コンサルタントとしてクライアントとお会いしていると、社員のマインドを変えて「やらなさ過ぎる」ことをなんとかやらせようとするために、とかく会社の状態を数値化し、見える化しようとする取り組みを考えられているという話を伺います。
最近では、ウェアラブル技術などを使ってバイタルデータを取得し、それを活用しようということを検討されているといったケースにも遭遇します。
もちろん、数値化することは今まで気づいていなかったものに気づけるようになるので、ないよりはあったほうが良いものかもしれませんが、高額な投資をしてまで数値化することだけに着目しすぎていることには、私は多少疑問があります。
というのは、自分自身の命にまつわる健康診断の数値ですら、異常値に驚きつつも、翌年にはただ数値が悪化していないことにホッとするくらいで、本当には生活改善をする人はほとんどいないからです。
もちろん、仕事のことであれば健康診断とは違った力学が働くので、対策の優先順位は上がるかもしれませんが、数値化したことだけで、有効な手段を取れるようになったという会社にはほとんどお目にかかったことはありません。数値化によって社員の行動を変えられている会社には他の要因がちゃんと備わっているように思います。
その意味では、「〇〇過ぎ」、「〇〇をやらなさ過ぎ」な行動は、個人においても組織においても対応するのは難しそうです。
バランスを欠いた「〇〇過ぎ」、「〇〇をやらなさ過ぎ」な行動をなぜ、個人にしても組織にしてもやめることができないのか?
生み出したい成果に一貫した行動を個人としても組織としてもなぜ、徹底することができないのか?
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