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書籍ではなく、小冊子で出版する本当の理由

2019年10月8日​ 中土井 僚「日々是内省」


よく、


「なんで、新書とかで出版せずに、小冊子なんですか?」


と尋ねられます。


その問いに関する私の率直な答えは


『なんとかしたい』という小さな想いを、『大きなうねり』へとつなげていきたいから


に他なりません。


確かに、出版社から書籍として出版するほうが著者としての格が上がる感じがしますし、費用負担に関するもろもろのリスクを出版社が負ってもらえるので、著者としてのうま味があるのは確かです。


しかし、「書籍」として出版しようとすると、私が創り出したい上記に挙げた「違い」から遠ざかってしまう点があります。


それは、書籍がもつ独特の「①敷居の高さ」と「②商業出版の構造的な制約」があります。


書籍はそれを「読みたい!」と思っている人にとってみれば、まさにお金を払ってでも読んでいただけるのだと思いますが、それは読者個人の知的好奇心を満たすことや知識・知恵の向上に焦点が当てられていることになります。


その書籍によってその読者が何かしら触発されて「これは身近な人と共有したい!」と思っても、その次には進みづらいのが書籍の特徴です。


つまり、「回し読み」には書籍はあまり向いていないのです。


なぜなら、書籍は渡すほうも、もらう方も抵抗があるからです。


装丁がきれいでしっかりしたものであればあるほど、受け取りては「うっ。こんなの読めない・・・」と抵抗が生まれますし、渡す側も「こんなの渡しても迷惑かな・・・」と躊躇します。


また、商業出版の場合、書籍の値段はある程度決まっているので決して安いわけではありません。なので、渡す側も自腹を切ってでも相手にあげるという人は少ないでしょうし、そういう方がいたとしても、渡す数には限界があるでしょう。


よっぽどいい本であれば、もちろん、回し読みは起きますが、「よかった」から回すだけであって、「問題意識を共有したいから」回すわけではないと思います。


そう考えると、書籍は「問題意識を共有するための『回し読み』」は生じづらいように感じています。


昨今の活字離れからしてみるとなおさらです。


また、そこに「②商業出版の構造的な制約」が追い打ちをかけます。


当然、出版社は売れる本しか出したくないので、私が届けたいと思っているような、『なんとかしたい』という小さな想いを持っているニッチな人達は、母集団として少なすぎるため、そもそもマスに売る商業出版とは相性が悪いのです。


それは、結果的に企画になりづらかったり、売れなかったらすぐに絶版になる憂き目にあう可能性が高くなります。


特に、構造的に出版不況に陥っている出版業界では、逆に本の出版点数は増えています。それは、初版部数を絞って、出版点数を増やすことで「数うちゃあたる」と言わんばかりの作戦を取っているケースが多いのが実情です。


初版部数を絞って、売れなければすぐに絶版という判断は、出版社の経営戦略としては致し方ないと思います。ただ、それは、実質、著者を使い捨てコンテンツとして見なしているということを意味します。


私が小冊子として著したかったことは「派手に売れる」ものではなく「地味にずっと求められる」ものです。


ものすごく売れなくても、ロングテールで『なんとかしたい』という小さな想いに確実に届けられるようにしたいという意味で「自費出版」であることを選び、


『大きなうねり』へとつなげていくための敷居を少しでも低くするために、「小冊子」であることを選んでいます。


私はどんな愚痴や文句であろうとも、それは、「純粋な想いに根差した痛み」に過ぎないのではないかと思っています。


その愚痴や文句に自分を売り飛ばして自分の人生の時間を浪費するのでもなく、その愚痴や文句が発展して、無用な傷つけ合いになっていくのでもなく、痛みがあるからこそ、共創が生まれること。


それを願っての「小冊子」なのです。


「あなただからこそ、私の問題意識を共有したい」そんな連鎖が生まれていくことを心から願っています。

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