2018年4月21日
中土井 僚「日々是内省」
世の中、「それが出来たら苦労しない」と思うことは数多くあります。
たとえば、「自分をもっと愛しなさい」、「やりたいことをやりなさい」といった言葉は、言われたほうからしてみると、「そりゃそうなんですけど・・・」という思いと、あっさりと言われてしまうことで、当たり前のことができない自分によりがっかりした気分になった経験のある方も多いのではないでしょうか?
昔、ビールのCMでビートたけしさんが「やりたいことをやれってよく言うけどさ、それが見つからねえから本人は大変なんだよね。」という類のコメントをされていました。
それを見て「さすが、たけしさんだなあ」と妙に感じ入ったのを覚えています。
そんな「それが出来たら苦労しない」ものの一つに、「心を開きなさい」というものがあると思います。
日常生活の中で、「もっと心を開きなさい」と直接言われることは滅多にないかとは思いますが、それに準じることは多くの人から言われている人は多いと思いますし、それを他者にも求めているのではないかと思います。
「あの人はもっと人の話を聴けばいいのに」
「あの人は頭が固いよね」
「あの人は言い出したら聞かないから」
「あの人は、ちょっと何かを言うと、いちいち反論するから話す気が失せる」
「どれだけ言ってもわかってくれようとしない」
こんな風な「相手がちゃんと歩み寄ってくれない」感の多くは、「ちゃんと心を開いて自分と向き合ってほしい」という切なる願いの現れなのではないかと思います。
「心を開いてほしい」というニーズはシンプルなものですが、言われる当人にとってはとてもハードルの高いものであり、そもそもどうやれば心を開けるのかわからない人の方が大半なのではないでしょうか?
この「心を開く」問題が難しいのは、当人の意志によって心を開くという「動作」であるかのように誤解されがちな点にあります。
たとえば、「嘘をつかず、正直でいる」ということは、本人の意志によってその動作をコントロールできるので、本人の努力次第で何とかなりやすくなります。
しかし、「心を開く」というのは、コントロール可能な「動作」の言葉ではなく何らかのトライの結果たどり着きうる「状態」の言葉です。
「恋に落ちる」のと同じで、一見自らの意志によってそれが実現可能なようにも見えますが、実際にはそうなれるかどうかはやってみないとわからないという類のものです。
多くの人が相手に心を開くことを実質的に強要していることからも、自分自身が心を開くことができるようになれば、より円滑で深いつながりの生まれるコミュニケーションは可能になりえます。
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