VISION
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I'm a paragraph. Click here to add your own text and edit me. It is consciousness transformation and realizes the change of an individual and the organization
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「自らの影響に自ら気づく力」を養う当事者意識向上
「高い当事者意識を持った組織に進化させたい」
一人一人の自分ゴト化を高めるには?
このような状況・症状にお悩みではありませんか?
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会社の状況が芳しくなかったり、現状はなんとかなっていても先行きは見えづらくなっていたりするにもかかわらず、社員に危機意識が感じられない
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何かしらの問題意識を口にはするものの、コミットメントが感じられず、社内評論家に留まっている
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飲み会の席など影では色々と言っていることは自明の理であるにも関わらず、公の場では誰も面と向かって口にしない
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「うちの社員は評論家ばかりで他責の人が多い」と社内批判をしているものの、それを言っているその人自身が評論家になっていることに気づけていない
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全ての問題の原因はトップにあると信じ込み、自らが変わる必要性を自覚できていない
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何かしらの変革が必要なのは誰の目にも明らかであるにも関わらず、思考停止に陥っているかのように現状維持姿勢が継続している
なぜ、そのような状況・症状が生み出されてしまうのでしょうか?
社内において社員の当事者意識の無さを嘆く人は数多くいるものの、実際に自分が当事者意識のない人として周りから見られているということを自覚している人はほとんどおらず、多くの場合それを指摘されたとしてもピンと来ないばかりか、ムッとしてしまうことも少なくはありません。
一方で責任感の無さを指摘された場合は、当人にも腰が引けている感覚や手を抜いている感覚があり、なんらか思い当たる節があるために、痛いところを突かれたという感覚を得ることもあります。
そこに当事者意識を高めることの難しさが現れています。
一般的に責任感と当事者意識は同じようなものとして扱われていますが、実際には似て非なるものです。
その両者の混同が組織の問題を解決させないばかりか、問題を増殖させてしまっています。(図1)
責任感は道徳観や意思の問題であるため、責任感の有無は本人が自覚しやすいものであるのと共に責任を果たそうとするかどうかは本人が決められることになります。それに対して、当事者意識は自分が状況の一部になっている、すなわち自分という存在自体が現在生じている事象の発生に何かしら与えている影響の実態に対して、自ら気づいていることを意味しています。
また、責任感に関しては単純にその有無しか存在していませんが、当事者意識に対しては、実際には当事者であるものの、そのことに意識が及んでいない、すなわち気づいていないということが生じえます。
つまり、実際に当事者であることと、そのことに対して当事者意識があることの間にはギャップが生じうるということです。
そのことが当事者意識問題の本質であると言えます。