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「気にいらない」と「気にならない」の境界線はどこに?

2017年8月28日​ 中土井 僚「日々是内省」

特段、これといった趣味もなく、買い物にしても、旅行にしてもそんなに入れ込むことのなかったことから、「自分のこれまでの人生全体を通じて、頭の中を占めていた内容を円グラフで表すとしたら、一位に位置付けられるものは何だろう?」と考えたことがあります。


その問いによってわかったことは、「人間」と「関係」についてほとんどの時間を費やしていたということです。


「人間」といっても、心理学的なことや哲学的なことを考えることを好むようになったのはそれなりに歳をとってからになりますが、幼いころから自分と他人との違いや、他の人がどういう人なのかを自分なりにあれこれ詮索していたのを覚えています。


そして、「関係」というのはいわゆる人間関係から、組織や制度といった構造と人との関係も含まれます。


とりわけ、人としての一人一人の成熟と関係の質の向上については、私にとって興味の尽きないテーマでした。


それはおそらく、広島で生まれ育ったことで、「人がちゃんと成熟したら、世の中はもっと平和になるんじゃないか」と考えることが多かったことも影響しているのではないかと思います。


そんな私にとって、誰かのことが「気にいらない」と「気にならない」の境界線は一体どこにあるんだろうか?というのは、探究しがいのある命題でした。

わずか、一文字しか変わらないこの二つの言葉には、近いようで遠い、遠いようで近い不思議な感覚を覚えさせます。


私はシンプルに、人として成熟すれば、「気にいらない」は「気にならない」になるものだと長い間、思っていました。

もちろん、ある程度のレベルまでは相関はありますし、悟りの境地に至ることが出来たなら、完全にそうなるのかもしれません。

しかし、少なくとも私の修行レベルでは悟りの境地には至れていないのとともに、「気に入らない」の延長線上に「気にならない」が存在しているといったような単純なものではないこともわかってきました。


約17年前にFFS理論(http://www.human-logic.jp/about/)というものに出会ってから、何度も自分なりに検証を重ねた結果、「気にならない」かどうかは、多分に個性の組み合わせ、すなわち相性に依存するものだということがわかりました。


すなわち、個性の組み合わせが悪い状態で、距離が近くなりお互いに利害関係者になればなるほど、何をどうやっても「気にいらない」ことは生じるし、「気にならない」にはそうそうならないようです。逆に言えば個性の組み合わせがよければ、「気にならない」状態にはなりやすいようです。


そんな中で、人として成熟していくことは、「気にいらない」状態から「気にならない」状態になることではないのだということがここ数年になってようやくわかりかけてきました。



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