2017年10月30日
中土井 僚「日々是内省」
ハーバード大学ロバート・キーガン教授の来日に伴い、シンポジウムに加え、ワークショップにも参加させていただいたことで5日間にわたり、教授と時間を過ごさせていただきました。
「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」(https://goo.gl/kaG9Wh)の出版記念シンポジウムだったということもありましたが、改めてVUCA時代における組織のあり方とは何かを深く考えさせられる機会となりました。
印象に残ったキーガン教授の言葉はいくつもありますが、とりわけ自分の中で腑に落ちたのは以下の3つです。
組織の中で多くの人は自分の弱さを隠すための”セカンドジョブ“に精を出している
人は組織の中で「孤独」という痛みを抱えている。それは代償を孕んだ「悪い痛み(Bad Pain)」である
弱さをさらけ出すのは痛みを伴うが、それは「良い痛み(Good Pain)」だ。
というものです。
「孤独を恐れ、弱さを隠すことに精を出し、偽った自分を演じているものの、結局のところありのままでいられない孤独という痛みを味わっている」
もし、それが「組織」という場所なのだとしたら、私たち人間はわざわざ痛みを味わうための場所を創りだし、予定通りにその痛みを味わっていることになるのかもしれません。
10代の頃、似たようなスーツを着て通勤し、定時になり一日が終わるのを待ち、定年になったら自由になれると心待ちにするという当時の大人たちのステレオタイプの姿を見て、「監獄にいる囚人と何の違いがあるんだろう」と不思議に思っていた自分がいました。
今は仕事を通じて充実感を得る等、当時の就労感とは違ってきていることもあるかとは思いますが、業績という観点が厳しくなっている分、「使える/使えない」という道具のようにお互いに関わり合う傾向が強くなってきているように思います。
その意味では、より弱さを隠さざるを得なくなっている、すなわちより孤独を味わわざるを得なくなっており、それがメンタルヘルスの問題で苦しむ人が増えている大きな要因になっているなど、「組織」という場所はより過酷な場所になっているのかもしれません。
もし、そのことに気づき始めている私たちはきっと今、何かを変える時に来ているのではないかと思います。
「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」
のその前に考えてみたいのは、
「弱さを見せあえることは、強さと何の関係があるのか?」
です。
前者の強さの意味は「組織」としての強さですが、後者の強さの意味は、「人」としての強さの意味です。
「強くなければ生きていけない。でも、優しくなければ生きていく資格がない」
この言葉の意味がより違った形で問われるようになってきているような気がしてなりません。
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